【3/11全校朝会】東日本大震災

13年前の今日の午後2時46分に東日本大震災が起きました。なので、今日の校旗は「半旗」と言って、途中までしか上げていません。これは「悲しみ」を表します。

13年前の今日、私は、1年生の担任の先生でした。その日は金曜日で、5時間授業で、さようならをした後でした。インフルエンザで休んでいた子たちが元気になって学校に来たので、放課後に居残りで、図工の作品を作っていました。そんなときに、地震が起きたのです。なかなか揺れが止まらず、絵の具のバケツからは水がピチャピチャはねました。子供たちが「怖いよ」と言い始めました。

揺れが収まって、校庭に避難をしました。みんな真剣でした。ふざけている人も、話をしている人もいませんでした。なぜなら、避難訓練ではなく、本当の避難だったからです。

東京の揺れは震度5強でしたが、東北ではもっとひどい震度7でした。そして、津波や火災、原子力発電所の事故で、被害はどんどん拡大していきました。中でも津波は一度にたくさんの人の命を奪っていきました。ある学校は津波で全員が亡くなり、ある学校は全員が助かったという報道が後からなされました。その違いは何だったのか。私は実際に被災した人に聞きました。

それは、「判断をしなかった」ということでした。判断をするには、情報を集めて、分析することが大切です。シブヤ未来科でも学習していますね。情報を集めて、分析をして、判断をしようとしていた人たちが、津波に飲まれてしまったのです。一方、助かった人たちは判断をしませんでした。地震が起きたから、高いところに逃げようと、何も考えずに、念のためにとすぐに逃げた人たちが、助かったのです。100回津波が来なかったとしても、101回目は来るかもしれないと、山道を登って逃げる訓練をみんなでずっと続けてきたのです。

鳩森小でも、避難訓練をします。地震が起きたら、机の下にもぐる、防災頭巾をかぶるなど、考えなくても行動できるようになっていたら、それは本番でも生きると思います。地震が起きてもぼーっとしていたら、自分の命を守ることはできません。この間の避難訓練は、そういう意味でも、皆さんの行動は素晴らしかったと思います。

なんだってそうですが、訓練でできなかったら、本番でできるわけがないのです。自分の命を守るための行動を、私も先生たちも、皆さんにしつこく伝えていきます。地震が来たら頭を守ること。火事になったら姿勢を低くして煙を吸わないこと。しゃべらずに行動すること、列をそろえて並ぶこと、体育座りをすること。何も考えずにできるようになるまで、何度でもやります。

「自分の命は自分で守る。」この3月11日に、もう一度その覚悟をしてほしいと思います。

今日2時46分に放送を流します。1分間黙とうをします。黙とうと言われたら、心の中で、東北のことを思ってください。赤ちゃんからお年寄りまで、たくさんの人たちが亡くなりました。まだ、見付かっていない人もいます。東北の人たちの悲しみに寄り添う時間にしてください。そして、自分の大切な人や大切にしたいことも、心の中で思い描いてください。

1〜3年生は、さようならをして家にいるかもしれませんし、放課後クラブにいるかもしれません。もし、できるようなら、一緒に黙とうをしてください。

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今日は、3年生の鼓笛隊デビューの日でした。3年生が入ることにより、音の厚みが増しました。これからの成長が楽しみです。

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