【1/20全校朝会】阪神・淡路大震災から30年
- 公開日
- 2025/01/20
- 更新日
- 2025/01/20
校長室から
今日の全校朝会では、阪神・淡路大震災から30年ということで、実際に震災を経験した本校教員に震災のときのことを話してもらいました。
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これから30年前に起こった大きな地震の話をします。写真も見てもらいますが、つらくなったら、目をつぶったり、そっと外に出てたりしても大丈夫です。
私は、高校生のときに阪神・淡路大震災を経験しました。私が住んでいたのは、神戸です。写真は、地震によって折れた高速道路です。鳩森小でも通学路で高速道路をくぐるお友達もいますから、高速道路が太く丈夫な柱で支えられているのを知っていると思います。それが道路ごと折れてしまいました。折れただけではなく、道路ごと倒れています。下を走っていた車の運転手さんも、とても怖い思いをしたことが想像できますね。
一軒家はつぶれてしまいました。一階が二階につぶされてしまったのです。私はマンションに住んでいましたが、壁に亀裂が入りました。私は、地震の起こった数分前に目が覚めていました。1月17日はとても寒くて、布団から出られずグズグズしていたところに地震がきました。まず、ドシンと大きな音がして、体がベットの上でふわっと持ち上がりました。その後、部屋ごと巨人に持ち上げられ、横にブンブン振られたように部屋全体が大きく揺れ、ベッドも机も本棚も倒れました。入口がふさがり、私は部屋に閉じ込められてしまいました。後で聞くと、母は、たんすの上に置いてあった使っていなかったテレビが頭の上に落ちてきて、血まみれだったそうです。台所は、食器棚が倒れ中の食器が粉々になって散乱していたそうです。
ガス、電気、水道が止まりました。トイレの水は、近くの池に自転車で行き、たくさんの入れ物に入れて、持って帰って使いました。飲み水は、近くの自動販売機を回り、お茶をありったけ購入して、しのぎました。始めに復旧したのは、電気でした。そこで初めてニュースを見て、とても大きな地震が起きたということを知りました。水道とガスが使えるようになるのは、まだまだ先ということが分かり、がっかりして不安が大きくなったのを覚えています。
そのころは、今のように避難訓練を毎月行うこともなかったですし、学校が避難所になるということも、みんなが知っていることではなかったので、家で過ごすしかないと思っていました。病院もやっていないので、頭を切った私の母は、タオルを巻くしかできませんでした。道路が倒れて車が通れないので、近くのお店に商品が届かず、買えるものも少しでした。私たちの家族は、電気で温まるホットプレートで、小麦粉で作ったお好み焼きをよく食べていました。
近くの水道局が、水を分けてくれたので、くみに行き、電気ポットで水を沸騰させ、そのお湯でタオルをぬらして体をふき、お風呂の代わりにしていました。とても不自由な生活でしたし、いつまで続くか分からないまま過ごしていたので、不安ばかりが募りました。そんな時、比較的被害が小さかった親戚や、友達の家から電話をもらい「お風呂に入りにおいで」と言ってもらえて、暗かった心がぱっと明るくなったことは忘れられません。また、久しぶりに入ったお風呂の気持ちよさは、今でも肌で覚えています。
私の通っていた高校は、避難所になっていました。通えたのは、3か月後くらいでした。最初の体育の授業で、先生が避難所の様子を話してくれました。避難してきた人たちは、地震後の火事で、家もなくなり、心がすさんでしまい、すぐにでもけんかが起こりそうな悪い雰囲気だったそうです。だれも掃除しないトイレは、汚れに汚れていました。そこで、ボランティアの人たちや、やっと出勤できた先生方で、まず初めにトイレ掃除をしたそうです。その様子を見て、避難所の人たちは「自分たちも頑張らなくては。」と、立ち上がり、だんだんと助け合いのよい雰囲気が生まれてきたそうです。「優しさや助け合いは、生きる力をうむんだよ。」とその先生は、おっしゃっていました。
また、この地震をきっかけに、学校での避難訓練をこれまで以上にしっかりやろうという流れができたそうです。地震が来たら、机の下にもぐるという行動をさっとできることは命を守ることにつながります。皆さんが1か月に一度行っている訓練は、すごく大切なことだと私は身をもって実感しています。
そして、大変な災害にあったときこそ、人の優しさで心が温かくなり、生きる力をもらえます。普段から、友達を大事にし、助け合いながら生活していくことが、命を守ることにつながります。震災を経験した私の話を、この先も頭の片隅で覚えていてくれたら嬉しいです。
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私は、今から18年前に、1歳になる前の娘を連れて神戸に旅行に行ったことがあります。私がエレベーターやバスに乗ろうと並んでいると、一番前にいる人が「ベビーカーの人、先にどうぞ」と随分後ろに並んでいる私に声を掛けてくれました。子育てをしていて、このように優しくしてもらったことがなかったので、私はとても驚き、感動しました。
復興した神戸の街並みもすてきで、ご飯やスイーツもおいしかったけれど、私が旅をして一番印象に残ったのは、神戸の人たちの優しさでした。
そんな話を職員室でしていたら、今日話をしてくれた教員が「そんなふうに思ってもらえて嬉しいです。でも、それは、神戸の人たちが、地震のときみんなに優しくしてもらったからだと思います。」と話してくれました。そんなことを思い出しつつの今回のオファーでしたが、子どもたちも真剣に話を聞いてくれました。