学校日記

令和7年度 夏休み終了後の朝会

公開日
2025/09/04
更新日
2025/09/04

校長室から

 長い夏休みが終わりました。今年の夏も、本当に暑かったですね。それでも皆さんが今日、元気に登校できたことが何よりです。今朝は、久しぶりに早起きをして辛かった人もいたと思います。それでも、頑張って登校してきた皆さんは立派です。明日からも、続けてくださいね。

 さて、この夏休みは「戦後80年」ということで、たくさんのニュースが報道されました。今から80年前、日本は世界を敵に回して何年も戦争をしていました。それを「第二次世界大戦」と言います。戦争中は、外国から物を買うことが難しく、戦争に使う鉄や飛行機を飛ばすガソリンまで不足し、食べ物も日に日に足りなくなって、日本中の人がみんなおなかをすかせていたそうです。

 校長先生のお父さんは、そのころ小学生でした。当時は食べ物が足りないだけでなく、敵の飛行機が空から爆弾を落とす「空襲」が毎日のようにあり、ウ~とサイレンがなって空襲警報が発令されると、どんなに夜中だろうと地面に掘った防空壕という穴に避難しなくてはならないので、夜も服を着たまま、靴を枕元に置いて寝たそうです。

 ある時、警報が解除されて防空壕から出てくると、お父さんの家は爆弾を落とされて燃えてなくなっていました。その話を聞いた校長先生は、「お父さん、家が燃えちゃって、それからどうしたの?」と聞くと、お父さんは何も答えませんでした。きっと、娘の私にも言えないくらい苦労したのだと思います。

 そして、お父さんは死ぬまでジャガイモを食べませんでした。カレーライスを作っても、必ず「ジャガイモは入れないで。」と言うのです。最初は、なんてわがままなんだと思っていましたが、理由を聞くと「戦争中はお米がなくて、毎日毎日、朝もジャガイモ、昼もジャガイモ、夜もジャガイモ、とそればっかり食べていたんだよ。だから、もう食べたくない。」と言っていました。きっと、ジャガイモを食べると、辛かった子供のころを思い出すので、食べたくなかったのだと思います。

 戦争は、人と人が殺しあう絶対にやってはいけないことです。その苦しい戦争を体験した人たちが、どんどん高齢化して亡くなっています。校長先生のお父さんも、2年前に天国へ行ってしまいました。ですから、私たちが戦争の悲惨さと平和の素晴らしさを、これからもずっと語り継いでいかなくてはいけないと思います。皆さんも、平和がずっと続くように、そして今も戦争を続けている国があることも含めて、どうしたらよいのかを考えてほしいです。

 それでは最後に、今年も教室に飾られる皆さんの夏休み作品展を見せてもらうのが楽しみです。工夫している素晴らしい作品には、校長先生から賞状を贈りますので、期待していてください。

 今日からまた、勉強も運動もがんばりましょう。