特色ある教育活動 ☆姉妹校交流☆
きっかけ・・・
第二次世界大戦中の昭和19年9月、猿楽小学校(当時、東京都猿楽国民学校)初等科の3年生以上74名が戦時特別措置として、
富山県射水郡金山村に第1回学童集団疎開をしました。翌年の昭和20年4月には、第2回学童集団疎開として、初等科の3年生以上80名も加わりました。
疎開児童は、宿舎となった翁徳寺の他に2つの寺などから、金山国民学校(現在、富山県射水郡小杉町立金山小学校)に通学しました。
戦時下の苦しい食料事情の中で親元から離れて暮らす疎開児童には、高沢義作村長の「金山の子には芋を喰わせても、猿楽の子には白い飯を喰わせてやれ。」
という言葉で代表されるように、温かく迎えてくれた金山の方々がどれほど心強く映ったことでしょうか。終戦−戦後の復興−高度経済成長と
変貌をとげてきた昭和51年10月に、在京の疎開児童や関係者(金山会)の21名が30年ぶりに、かつての疎開先を訪れました。
これがきっかけとなって、翌年に姉妹校の契りが交わされました。
現在では・・・
現在は、5、6年生が隔年で訪問したり、来訪したりして、交流を深めています。
訪問した時は、金山の小学校をはじめ、地域の皆様、町全体が温かく歓迎してくださり、東京にはない大自然の中で、川で遊んだり、
流しそうめんを食べたりして3日間を過ごします。
金山交流は、猿楽小学校に入学した5月頃から始まります。1年生から、クラス単位の手紙や写真による交流を行い、4年生になると、
1対1あるいは2(3)対1の文通相手が決まり、個人と個人の交流に変わります。そして、この交流は卒業時まで(卒業後も)続き、
一生の宝ものとなるのです。
詳しい様子は金山姉妹校交流をご覧ください。