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学校日記

【10/25全校朝会】学芸会に向けて(1)

公開日
2021/10/25
更新日
2021/10/25

校長室から

学芸会まであと1か月を切りました。今週には全てのオーディションも終わり、練習も本格化してきます。表現することが得意な子も、苦手な子も、その子らしく挑戦してもらいたいなと思っています。

私自身、教員生活は20年を超えていますが、担任として学芸会を行ったのはたったの1回だけです。学芸会のない学校にずっと勤務してきたということです。子供時代も学芸会のない学校にいたので、学芸会を経験したことがありませんでした。

担任として学芸会に取り組んだその1回は、自分にとって最後に担任したクラスでもあり、とても印象に残っています。担任していた学年は、1クラス40人の3クラス。全員で120人です。その120人で劇を作るということで、一番大変だったのは、一人に一言ずつセリフを作ることでした。

そのような大きな学校ということもあり、どの学年も同じようなもので、セリフは一言しかないという子がたくさんいました。

その年の学芸会が終わったときに、職員室で話題になった作文がありました。

「最初はセリフが少ししかなくて、こんなことやる意味があるのだろうかと思った。しかし、周りの友達がたった一つのセリフを一生懸命練習している姿を見て、考えが変わった。たった一つのセリフでも、大切なセリフなのだ。それから僕の練習に対する態度も変わった。以前はいい加減に取り組んでいたけれど、自分も一生懸命取り組むようになった。そうしたら、練習が楽しくなった。本番も成功した。みんなで成功を喜ぶことができた。今までで一番楽しい学芸会だった。」

という主旨の作文です。私自身、120人で一本の劇を作るなんて意味があるのかなと半信半疑のところがあったのですが、この作文を読んで学芸会に対する思いが変わりました。

セリフが少ないからやる意味がないのではなく、セリフが少ないからこそ学べることもあるんだと思わされました。劇にとって必要のない役などなく、どの役もその劇を進行するのに必要な役なのです。それは、学校にとって必要な児童などなく、どの児童もその学校に必要な児童であるということにつながります。

オーディションを経て、なりたい役になれた子も、なりたい役になれなかった子もいます。全員が望むとおりの結果を得ることは不可能です。子供たちには、

「やりたい役になれた人は、その役をやりたかった人の分も頑張るという責任があります。やりたい役になれなかった人は、気持ちを切り替えて、与えられた役に真剣に向き合ってほしいと思います。先ほどの男の子の作文ではありませんが、ものの見方を変えると同じことが違うように見えてきます。いい加減な気持ちで取り組むのか、一生懸命に取り組むのか、終わったときに見える景色は違うと思います。どんな役も、その劇にとっては必要で、欠かせない、大切なものなのです。皆さんの頑張りを期待しています。」

と話をしました。ちょっと落ち込んでいた子が前向きになれたら嬉しいです。